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日本の障害者運動の歴史|明治から2000年まで―青い芝の会・自立生活運動と権利運動【前編】

執筆者の写真: リップディー(RiP:D)
リップディー(RiP:D)
7月22日
読了時間: 19分

更新日:10月8日

最終更新日:2026年9月22日(随時更新)

※更新履歴:内容を全面的に見直し|歴史的事実・公的資料・学術研究を追加・整理||参考文献、FAQ、関連リンクを更新


👉 安楽死の基本的な仕組みや全体像を知りたい方は、こちらの記事をご覧ください↓


👉 安楽死の定義と分類(積極的・消極的・間接的)の違いは、こちらで整理しています↓


👉 混同されやすい、安楽死と尊厳死の違いをを知りたい方は、こちら(延命治療との関係も整理)↓




※障害者運動とは何か:


障害者運動とは、障害のある人々が教育、雇用、医療、福祉、交通、住宅など、あらゆる社会生活の場面で差別や障壁をなくし、一人の市民として平等な権利を保障されることを目指して行ってきた社会運動です。


かつて日本では、障害者は「保護」や「慈善」の対象として捉えられることが多く、

自らの意思で社会に参加する機会は限られていました。


しかし、戦後になると障害当事者自身が声を上げ、「私たち抜きに私たちのことを決めないで(Nothing About Us Without Us)」という考え方が世界的に広がります。


日本でも、こうした流れを受けながら、障害者運動は福祉の充実を求めるだけでなく、

差別の解消やバリアフリー、合理的配慮、自立生活、そして人権の保障を目指す権利運動へと発展してきました。


現在では、障害者権利条約や障害者差別解消法など、多くの制度や政策の基盤となっています。その歴史を振り返ることは、日本社会が「障害」をどのように理解し、「保護」から「権利」へと価値観を転換してきたのかを知ることでもあります。


また、この流れは、2000年代以降に本格化する尊厳死や安楽死をめぐる

生命倫理の議論を理解するうえでも欠かせない重要な背景となっています。




👉 安楽死をめぐる賛否の論点を体系的に整理したい方は、こちらをご覧ください↓




はじめに│障害者運動とは何か

日本の障害者福祉はどのように始まったのか



今日、日本では「障害者の権利」や「バリアフリー」「合理的配慮」といった言葉が広く知られるようになりました。

しかし、こうした考え方は最初から存在したわけではありません。


かつて障害者は、

保護や慈善の対象として扱われることが多く、

自らの意思で社会参加することは容易ではありませんでした。


そうした状況を変えてきたのが、

障害当事者や家族、支援者、研究者たちによる長年の取り組みです。

日本の障害者運動は、福祉制度の整備だけでなく、

「障害をどのように理解するか」という社会の価値観そのものを変えてきました。



本稿(前編)では、明治時代から2000年頃までの歩みを振り返り、

現在の障害者運動の礎となった出来事や人物を紹介します。




障害者運動の歴史を知る意味


障害者運動の歴史は

単なる福祉政策の歴史ではありません。


それは、障害のある人々が「保護される存在」から「権利を持つ一人の市民」へと社会的な位置づけを変えていく過程であり、日本社会における人権意識の発展そのものでもあります。


その歩みの中では、当事者による自立生活運動や脱施設化運動、教育や雇用の機会拡大、バリアフリーやユニバーサルデザインの普及など、数多くの転換点がありました。

また、国際的な人権思想や海外の障害者運動の影響を受けながら、日本独自の運動も形成されていきます。


こうした歴史は、現在の障害者福祉制度や障害者権利条約、障害者差別解消法などにつながる重要な土台となりました。

さらに、2000年代以降には、



尊厳死や安楽死をめぐる議論とも

深く関わるようになり



障害者団体や関係者は

日本の終末期医療や生命倫理の議論において大きな影響を与えていくことになります。


まずは、その原点となる明治時代から、日本の障害者運動の歩みを見ていきましょう。




👉 日本における安楽死の法律的な扱いについては、こちらで詳しく解説しています↓



🎧音声による動画解説



要約図(自由使用可)


障害者運動の歴史を解説する日本語インフォグラフィック。明治から2000年以降までの年表と写真、右下に車椅子利用者などの図、青い見出しと各時代の説明文が並ぶ。



【第1章】


明治期|日本の障害者福祉の原点


近代日本における障害者福祉は、

国家ではなく、一人ひとりの篤志家による活動から始まりました。



石井亮一(1865–1934)

1897年、日本で初めて知的障害児のための教育施設「滝乃川学園」を創設しました。


石井はアメリカでフランスの医師エドゥアール・セガンの教育理論を学び、日本へ持ち帰ります。当時、知的障害児は教育の対象と見なされることがほとんどありませんでしたが、石井は「教育によって可能性を伸ばすことができる」と考えました。


滝乃川学園は、日本における知的障害児教育・福祉の原点とされています。


※ホームページ代表挨拶より

白背景に日本語の説明文が表示された文書画面。滝乃川学園の歴史や理念が書かれ、赤い下線で強調された箇所がある。

※追記(2026年9月22日)

石井亮一と滝乃川学園

1891年、教育者の石井亮一は、濃尾地震で親を失った少女たちを救済するため「孤女学院」を設立しました。

その後、知的障害のある子どもの教育にも取り組み、1897年に「滝乃川学園」と改称。

日本における知的障害児教育・福祉の先駆的な施設の一つとして発展していきました。





高木憲次(1889–1963)

1942年には、日本初の肢体不自由児施設「整肢療護園」を創設しました。

高木は「肢体不自由」という言葉を提唱し、

医療・教育・職能訓練を一体的に行う「療育」の理念を確立しました。


現在の障害児リハビリテーションの原型は、高木の思想に大きく影響を受けています。


「整肢療護園 創設」と書かれた日本語の案内ページ。白地に緑の見出しと黒い本文で、施設の創設経緯を説明している。



明治期の 障害者福祉の特徴


・福祉は国家ではなく民間が中心

・「保護」「教育」が主目的

・権利という考え方はまだ存在しない



※出典・参考

👉 「滝乃川学園」のホームページはこちら↓


👉 「整肢療護園」のホームページはこちら(心身障害児総合医療教育センター)↓




【第2章】


戦後民主化と障害者当事者運動の始まり


第二次世界大戦後、日本は民主化の時代を迎えます。

障害者福祉も大きな転換期を迎え、

「障害者本人が声を上げる」という当事者運動が始まりました。



糸賀一雄(1914–1968)

1946年、滋賀県で近江学園を創設しました。

糸賀一雄が残した


「この子らを世の光に」

という言葉は、日本福祉史を代表する理念となっています。


ここでいう「世の光に」とは、「障害のある人を社会が守る存在」としてではなく、

「その存在そのものが社会を照らす」という意味です。


この思想は、その後の

ノーマライゼーションや共生社会の理念にも大きな影響を与えました。







全日本聾唖連盟

1947年、

それまで健聴者中心だった組織から脱却し、

「ろう者自身による、ろう者のための運動」として再出発しました。


これは日本における本格的な当事者運動の出発点とされています。






岩橋武夫とヘレン・ケラー

1948年、

日本ライトハウス創設者の岩橋武夫は、ヘレン・ケラーを日本へ招き、全国講演を実施しました。その社会的反響は非常に大きく、翌1949年には



身体障害者福祉法



成立への機運を高めることになります。

また、岩橋は現在の



日本視覚障害者団体連合 (http://nichimou.org/ )



の前身となる、日本盲人会連合を設立し、初代会長を務めました。





戦後 障害者運動の特徴


・戦後民主化

・当事者団体誕生

・身体障害者福祉法成立

・障害者が「支援される存在」から「社会参加する主体」へ





【第3章】


1970年代|青い芝の会と障害者解放運動


1970年代、日本の障害者運動は大きく方向転換します。

それまでの福祉運動が「保護」や「支援」を求めるものだったのに対し、新たな世代は



「障害者を差別する

社会そのものを変えるべきだ」



と訴えました。



青い芝の会

1957年に発足した青い芝の会は、1

970年代に入ると脳性まひ当事者による障害者解放運動へと発展します。





横塚晃一(1934–1978)

神奈川青い芝の会会長。

1970年、横浜市で起きた障害児殺害事件に際し、加害者への減刑運動に反対しました。

「障害者だから殺されても仕方がない」という社会の価値観に対し、「障害者の命も等しく尊い」という強いメッセージを発信しました。


1970年5月29日、横浜市金沢区で母親が介護を苦にして、重度心身障害児のわが子を絞殺した事件があった(この事件の被害者は知的障害と身体障害の重複障害児であり、脳性麻痺者ではなかった)。
この事件でも母親に同情的な立場から減刑や無罪を嘆願する運動が起こった。そこで全国青い芝の会は、罪は罪として裁くよう厳正な裁判を要求した。この活動から全国青い芝の会が注目されるようになった。結果的に母親は有罪となったが、懲役2年の求刑に対し執行猶予3年と、殺人事件としては非常に軽い量刑であった。当時の殺人罪の量刑は「死刑又ハ無期若シクハ三年以上ノ懲役」であり、検察官による求刑の時点から情状酌量されていたことになる。
これらの事件に対する抗議行動により、青い芝の会が広く知られることになった。




横田弘(1933–2013)

全国青い芝の会総連合会初代会長。

「行動綱領」の起草者として知られ、



「健全者文明を否定する」



という挑戦的な言葉で、障害者を排除する社会構造を批判しました。


1976年には全国障害者解放運動連絡会議(全障連)の初代会長にも就任し、障害者解放運動を全国へ広げました。





全国「精神病」者集団

1974年、精神障害当事者による全国組織が結成されました。

保安処分制度への反対運動を契機に、「精神障害者自身が語る」運動が始まりました。






川崎バス闘争(1977年)

車いす利用者の乗車拒否に抗議したこの出来事は、

公共交通機関のバリアフリー化を求める象徴的な運動となりました。




1970年代 障害者運動の特徴


・「障害からの解放」ではなく「差別からの解放」

・当事者主体の運動

・社会構造への問題提起

・権利運動への転換




【第4章】


1980年代|国際障害者年と社会モデルへの転換


1981年、国連は「国際障害者年」を定め、

「完全参加と平等(Full Participation and Equality)」を世界共通の目標として掲げました。

これは、日本の障害者運動にとっても歴史的な転換点となります。


従来の「障害は本人の能力や身体機能の問題である」という医学モデルに対し、



「障害は社会の制度や環境によって生み出される」



という社会モデルの考え方が広く紹介されました。



👉 安楽死制度は不要なのか?社会支援が行き届けば解決するという主張の限界を検証する




この理念を日本で推進した中心的な組織の一つが、1986年に正式発足した



DPI日本会議(障害者インターナショナル日本会議)



です。


DPI日本会議の案内文のスクリーンショット。主催・連携先の団体名や住所、電話、メールが並び、赤黄緑の枠で強調されている。

↓

👉 出典


👉 DPI 日本会議のホームページ↓



当事者が主体となって国際的な障害者運動と連携し、

権利保障やバリアフリー、差別のない社会づくりを訴えてきました。


一方、1984年には宇都宮病院事件が発覚し、

精神科病院における虐待や人権侵害が国際的にも問題視されました。


この事件は、1987年の精神衛生法改正(精神保健法への改正)につながり、

「社会復帰」や「人権尊重」を重視する制度改革の契機となりました。





👉 精神疾患による自殺の実態|警察庁・厚労省統計から見る原因と推移【2007~2025年】




【第5章】


1990年代|自立生活運動と地域生活への転換


1980年代後半から1990年代にかけて、日本では



自立生活運動

(Independent Living Movement)



が全国へ広がりました。


1991年には、全国自立生活センター協議会(JIL)が結成され、各地の自立生活センターが連携して活動を開始します。




また、日本初の自立生活センターである



JCIL(日本自立生活センター)



は、重度障害者が施設ではなく、地域で暮らすための相談支援、

介助者派遣、ピアカウンセリングなどを実践し、日本の自立生活運動を牽引しました。

※👉 日本自立生活センター(JCIL)のホームページ


1993年には「心身障害者対策基本法」が全面改正され、法律名が「障害者基本法」に改められました。


これにより、障害者の個人としての尊厳や社会参加の機会などが基本理念として明確化され、障害者施策を総合的に推進するための法制度が整えられていきました。


さらに2000年には交通バリアフリー法が制定され、

公共交通機関や駅などでのバリアフリー整備が本格化します。


同年には成年後見制度も始まり、

判断能力が不十分な人の権利擁護を支える新たな制度が導入されました。



こうして20世紀末までに、日本の障害者運動は「保護される福祉」から



「地域で自立して暮らす権利」



へと大きく方向転換したのです。




👉 安楽死に反対する障害者団体の全体像(日本)|DPI・JCIL・当事者運動の構造


👉 安楽死反対は誰を守っているのか──障害者団体・福祉系NPOの論理構造を検証する




【前編のまとめ】


まとめ|障害者運動は「保護」から「権利」へ発展した



明治期の民間福祉から始まった日本の障害者運動は、戦後の当事者運動、1970年代の解放運動、1980年代以降の国際的な権利運動、自立生活運動を経て、



「障害は個人の問題ではなく、

 社会のあり方の問題である」



という認識へと発展してきました。


この歩みは、単なる福祉制度の変遷ではありません。

障害のある人々が「保護される存在」から「権利を持つ市民」へと位置づけられていく歴史でもありました。


そして、この土台の上に、21世紀の生命倫理や「尊厳生」の議論、

立岩真也・川口有美子・児玉真美らによる新たな思想的展開が生まれていきます。


👉『安楽死が合法の国で起こっていること』を読む前に|児玉真美と“命の選別”思想の背景





後編では、「尊厳生」という概念の誕生とともに、

日本の障害者運動が生命倫理へと広がっていく歩みをたどります。





障害者運動の歴史的変遷を示す年表インフォグラフィック。1868年〜2000年、福祉・解放・自立生活の歩みを人物写真と青赤紫の図版で紹介。

※自由使用・可




👉 安楽死と関係が深い「緩和ケアと安楽死の違い」は、こちらで整理しています↓


👉 安楽死と自殺の違い・関係を整理したい方は、こちらをご覧ください↓


👉 身体疾患と自殺の関係|警察庁・厚労省統計から見る年間約4,000人規模の実態


👉 日本の安楽死の歴史・事件を知りたい方は、こちらをご覧ください↓




👉 世界の安楽死制度の成立経緯を年代順で知りたい方は、こちら↓


👉 世界各国の安楽死制度を知りたい方は、こちらで解説しています↓


👉 地図で確認する安楽死が合法の国 一覧と各国制度は、こちらで詳しく解説しています↓




障害者運動史 年表

年

出来事

意味

1891

孤女学院設立

石井亮一による福祉・教育活動

1897

滝乃川学園へ改称

知的障害児教育を本格化

1947

全日本ろうあ連盟創立

戦後の当事者組織

1949

身体障害者福祉法

戦後障害福祉制度の基盤

1957

青い芝の会発足

脳性まひ者による当事者運動

1970年代

障害者解放運動

差別・施設中心主義への批判

1981

国際障害者年

完全参加と平等

1986

DPI日本会議発足

国際的障害者権利運動との接続

1991

JIL設立

自立生活運動の全国的連携

1993

障害者基本法へ改称

障害者施策の基本理念を整理

2000

交通バリアフリー法

移動・アクセス環境の整備



障害者運動と生命倫理の接続図

明治期

│

├─ 福祉・教育

│

戦後

│

├─ 当事者団体

│

1970年代

│

├─ 青い芝の会

├─ 障害者解放運動

│

1980年代

│

├─ 国際障害者年

├─ 社会モデル

├─ DPI

├─ 自立生活

│

1990年代

│

├─ 地域生活

├─ 自己決定

├─ バリアフリー

│

2000年代~

│

├─ 障害者権利条約

├─ 障害者差別解消

│

└──────────────┐

↓

生命倫理・終末期

↓

安楽死・尊厳死の議論

↓

┌───────────────┐

↓              ↓

圧力・脆弱性         自己決定

を懸念         を重視

↓             ↓

慎重・反対論          容認論




FAQ

Q1. 障害者運動とは何ですか?

障害者運動とは、障害のある人々が、教育・雇用・医療・福祉・移動・地域生活などについて、差別の解消や権利保障、自己決定、社会参加を求めてきた社会運動の総称です。日本では戦後に当事者団体が発展し、1970年代以降には障害者解放運動や自立生活運動などが展開されました。


Q2. 日本の障害者運動はいつ始まりましたか?

「障害者運動」をどの時点から始まったとするかには研究上の幅があります。障害児・障害者への福祉・教育活動は明治期から存在しましたが、戦後には当事者自身が組織をつくり、権利を求める運動が本格化しました。1947年の全日本ろうあ連盟の創立や、1970年代の青い芝の会の活動などは重要な転換点です。


Q3. 青い芝の会とは何ですか?

青い芝の会は、脳性まひ者を中心とする当事者運動です。特に1970年代には、障害者を「保護される存在」として扱う社会のあり方を批判し、障害者自身の主体性や権利を強く訴えました。その思想や運動形態は、その後の日本の障害者解放運動や自立生活運動を考えるうえで重要な位置を占めています。


Q4. 社会モデルとは何ですか?

社会モデルとは、障害を本人の身体・精神機能だけの問題として捉えるのではなく、社会制度、環境、差別、情報へのアクセスなどによって生じる障壁との関係から捉える考え方です。日本でも障害者運動や障害学の発展とともに広く議論されるようになりました。


Q5. 自立生活運動とは何ですか?

自立生活運動とは、障害のある人が施設や家族だけに依存するのではなく、必要な介助や支援を受けながら、自らの意思で地域社会で生活することを目指してきた運動です。「自分のことを自分で決める」という自己決定の考え方が重要な要素となっています。


Q6. 障害者運動は現在の法律にどのような影響を与えましたか?

障害者運動による権利要求や国際的な人権保障の発展は、日本の障害者政策を考えるうえで重要な背景の一つとなっています。一方、個々の法律が成立した経緯はそれぞれ異なるため、「障害者運動だけによって法律が成立した」と単純化することはできません。


Q7. 障害者運動は安楽死に反対する運動なのですか?

一概には言えません。障害者や病者が社会的な支援不足や差別、周囲からの圧力によって「死を選ばされる」可能性を懸念し、安楽死・尊厳死の法制化に反対する立場があります。一方で、障害者の自己決定権を重視し、一定の条件下でassisted dyingを認めるべきだと論じる研究もあります。


Q8. なぜ障害者運動と安楽死・尊厳死の議論が関係するのですか?

両者には「自己決定」「社会的圧力」「生きることへの支援」「障害者の権利」といった共通する論点があるためです。ただし、障害者運動の歴史そのものと、安楽死・尊厳死をめぐる生命倫理上の議論は同一ではありません。本記事では両者を区別して扱っています。


Q9. 安楽死と尊厳死は同じものですか?

一般には同じ意味では使われません。安楽死は、本人の苦痛などを理由として医師等が死を直接もたらす行為を指す場合がある一方、尊厳死は延命治療の差し控え・中止など、自然な死を迎えることを指して使われることがあります。ただし、両者の定義や用語法には文献・制度による違いがあります。


Q10. RiP:Dは障害者支援を否定しているのですか?

いいえ。本記事は障害者運動の歴史や障害者の権利保障を否定することを目的としたものではありません。むしろ、障害者が社会的な支援や介助を受けながら自分の人生について意思決定できる環境を整えることと、終末期における自己決定の選択肢をどう制度化するかは、区別して議論する必要があると考えています。




嘆願書送付アクション


本サイトでは、各国制度、安全性・濫用防止、緩和ケア、身体疾患による苦痛と自殺などについて、国会提出用の補足資料も公開しています。



書類 一覧


・嘆願書 本文『人道的終末選択の法制化に関する提言書』

・補足資料① 日本における安楽死制度の法的現状と制度的空白

・補足資料② 各国制度比較と日本への制度モデル

・補足資料③ 制度設計・安全性確保・濫用防止策

・補足資料④ 緩和ケアの限界と終末期医療の課題

・補足資料⑤ 身体疾患・身体障害による苦痛と自殺の実態

・カバーレター:ご挨拶(1ページ)

・要約文(2ページ)



👉 日本に安楽死制度を導入するための5つのポイント|制度化への課題・世界の動向・実現への道筋↓






参考文献・研究資料


日本の障害者運動・障害学

・渡辺克典(2014)「障害学と障害者運動の研究動向」『保健医療社会学論集』

25(1), 24-29.DOI: 10.18918/jshms.25.1_24 J-STAGE

障害学、社会モデル、当事者研究、日本の障害者運動史研究の動向を整理した論文です。


・丸岡稔典(2016)「世田谷における障害者運動の生成と展開――地域像の構想に焦点をあてて」『福祉社会学研究』

13, 106-131.DOI: 10.11466/jws.13.0_106 J-STAGE

1970~80年代の障害者運動、自立生活、自己決定、地域生活の形成過程を分析しています。


・二階堂祐子(2012)「1970年代の障害者運動における女性障害者の意識変容――青い芝の会神奈川県連合会『婦人部』をめぐって」

19, 89-107.DOI: 10.50962/wsj.19.0_89 J-STAGE

1970年代の青い芝の会を女性障害者の運動という視点から検討した研究です。



障害者運動の一次資料・歴史資料

・国立国会図書館横塚晃一『母よ!殺すな』各版の書誌情報を確認できます。


・定藤邦子(2011)『関西障害者運動の現代史:大阪青い芝の会を中心に』生活書院.1970年代の大阪青い芝の会を中心とする障害者運動を扱った研究書です。



安楽死・尊厳死と障害をめぐる研究

・Riddle CA (2017).“Assisted Dying & Disability.” Bioethics. 31(6):484-489.DOI: 10.1111/bioe.12353. PMID: 28419505. PubMed

障害者の自己決定・権利とassisted dyingをめぐる反対論を検討したうえで、一定の条件下で合法化を支持する立場を論じています。


・Colburn B (2022).“Disability-based arguments against assisted dying laws.” Bioethics. 36(6):680-686.DOI: 10.1111/bioe.13036. PMID: 35389513. PubMed

障害者の権利を根拠とするassisted dying反対論を哲学的に検討しています。


・Stainton T (2019).“Disability, vulnerability and assisted death: commentary on Tuffrey-Wijne, Curfs, Finlay and Hollins.” BMC Medical Ethics. 20(1):89.DOI: 10.1186/s12910-019-0426-2. PMID: 31775722. 

障害者の脆弱性、社会的条件、assisted dyingをめぐる倫理的問題を検討しています。


・Clifton S (2021).“Disability and the Complexity of Choice in the Ethics of Abortion and Voluntary Euthanasia.” The Journal of Medicine and Philosophy. 46(4):431-450.DOI: 10.1093/jmp/jhab008. PMID: 34219161. PubMed

障害者の視点から、自己決定・社会的条件・安楽死をめぐる倫理的緊張関係を論じています。



公的資料

・内閣府「障害者白書・障害者施策」

・厚生労働省「障害保健福祉施策」

・外務省「障害者権利条約」

・国際連合「Convention on the Rights of Persons with Disabilities」

本記事では、これらの公的資料を歴史的事実・制度の確認に利用しています。




障害者運動と安楽死・尊厳死の議論について

障害者運動の歴史を理解することは、現在の安楽死・尊厳死をめぐる議論を理解するうえでも重要です。


ただし、「障害者運動=安楽死反対」と単純に捉えることは適切ではありません。

障害者の権利や自己決定を重視する立場から、安楽死制度によって障害者や病者に社会的圧力が生じる可能性を懸念する議論がある一方、障害者の自己決定権を重視する観点から、一定の条件下でassisted dyingを認めるべきだと論じる研究も存在します。


したがって本記事では、障害者運動の歴史そのものと、そこから派生する現在の生命倫理上の議論を区別して扱います。


RiPの調査・編集方針

RiP:Dは、個人の肩書きや所属を前面に出すのではなく、公開されている一次資料・公的資料・学術研究を確認し、複数の資料を照合することによって情報の信頼性を高めることを基本方針としています。

歴史・法律・医療・生命倫理に関する記事では、可能な限り政府・自治体・国際機関・裁判所・国会・当事者団体等の一次資料を優先し、学術的な論点については査読付き論文や大学・研究機関の公開資料を参照しています。


また、特定の立場を紹介する場合には、その立場とRiP:D自身の見解を区別して記載するよう努めています。

本サイトの記事は随時更新しており、資料の追加確認によって過去の記述を修正する場合があります。

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