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カナダ安楽死の歴史②|「禁止」から制度設計へ|Carter判決まで20年の歩み

  • 執筆者の写真: リップディー(RiP:D)
    リップディー(RiP:D)
  • 2 日前
  • 読了時間: 24分

※最終更新日:2026年8月20日(随時更新)


👉 安楽死の基本的な仕組みや全体像を知りたい方は、こちらの記事をご覧ください↓


👉 安楽死の定義と分類(積極的・消極的・間接的)の違いは、こちらで整理しています↓


👉 混同されやすい、安楽死と尊厳死の違いをを知りたい方は、こちら(延命治療との関係も整理)↓


※本記事の情報源・調査方法

本記事は、カナダ最高裁判所の判例、カナダ政府・司法省・Health Canadaの公的資料、カナダ議会資料、PubMed収載の査読付き学術論文などを中心に調査・整理しています。

法律・判例については可能な限り一次資料を優先し、制度の評価については賛成・推進側だけでなく、反対・慎重論を扱う研究や資料も確認しています。

本記事は特定の立場を示す部分を含みますが、歴史的事実・法制度・統計については、出典を確認できる情報と筆者の評価を区別して記載しています。



👉 前回:カナダ安楽死の歴史|MAID制度成立までの道のり① |スー・ロドリゲス裁判から始まった制度化への歩み』は、こちら⇩




カナダの安楽死(MAID)制度成立までの歴史を示す年表図。Sue RodriguezやNancy Morrisonの写真、裁判・議論の流れと本文テキスト入り。




カナダ安楽死制度|Carter判決への道


1993年、スー・ロドリゲス氏の敗訴によって、カナダの安楽死制度をめぐる裁判は一度終わりを迎えました。

しかし、社会の議論まで終わったわけではありませんでした。


最高裁判所が自殺幇助禁止規定を維持した後も、



「耐え難い苦痛の中で生きる患者を、

 法律はどのように支えるべきなのか。」



という問いは、医療現場や法曹界、そして国民の間で語り続けられていきます。

その後の約20年間、法律そのものは変わりませんでした。


しかし、その水面下では、終末期医療をめぐる現場の葛藤、海外で進む制度化、そして患者や家族の声が少しずつ積み重なり、やがてカナダ社会は新たな転換点を迎えることになります。


本稿では、ロドリゲス事件後から2015年のCarter判決までの歩みをたどります。


カナダのMAID(医師による死)制度の年表インフォグラフィック。Carter、Bill C-14、Truchon、裁判決定を写真と図で示す。


🎧音声による動画解説



要約図(自由使用可)


カナダ安楽死制度の変遷を示す日本語インフォグラフィック。1993年から2015年Carter判決まで、裁判・地図・天秤図で法改正の流れを説明している。



カナダ安楽死制度をめぐり、医療現場では

「法律」と「患者」の間で葛藤が続いていた


ロドリゲス事件後も、自殺幇助は禁止されたままでした。

一方、終末期医療の現場では、患者の苦痛を和らげたいという医療者の思いと、

刑法を遵守しなければならないという現実との間で、難しい判断が日常的に迫られていました。

1990年代後半には、その葛藤を象徴する二つの事件が全国的な注目を集めます。




ナンシー・モリソン医師事件(1997年)


1997年、ノバスコシア州の医師ナンシー・モリソン氏は、末期がん患者の死亡に関与したとして殺人罪で起訴されました。


患者は人工呼吸器などの延命治療を中止した後に亡くなりましたが、その際に投与された薬剤が死期を早めた可能性があるとして、医師の刑事責任が問われたのです。


しかしながら、予備審問で陪審が有罪判決を下せるだけの証拠がないとして公判移送が認められず、その後の州最高裁での争いも終結し、1998年12月に検察側がこれ以上の上訴をしないと決定…



結果として、有罪を立証できる十分な証拠がないとして事件は終結しましたが、この出来事は全国で大きく報道されました。


医療関係者の間では、



「痛みを取り除く医療」と

「死を早める医療」は、どこで区別されるのか。



という議論が改めて浮き彫りになります。


この事件は、終末期医療に携わる医師たちが抱えていた法的リスクを、多くの国民が知る契機となりました。


※👉 参考


タイムライン:カナダにおける幇助死 | Globalnews.ca


👉 安楽死をめぐる賛否の論点を体系的に整理したい方は、こちらをご覧ください↓






モーリス・ジェヌロー医師事件(1997~1998年)


1997年、トロントの医師モーリス・ジェヌロー氏は、患者2人に自殺に使用されることを認識したうえで薬剤を処方したとして有罪答弁を行い、1998年に2年未満1日の拘禁刑と3年間の保護観察を言い渡されました。


この事件は、患者本人が死を望んでいたとしても、当時のカナダ法の下では医師による自殺への援助が刑事責任につながり得ることを示す事件となりました。


一方で、

「患者の自己決定は、どこまで尊重されるべきなのか。」

という議論もさらに深まりました。


この頃から、カナダ社会の関心は、

「制度を認めるか、認めないか。」

という賛否だけではなく、



「仮に制度を導入するなら、

 どのような条件と安全策が必要なのか。」



という制度設計そのものへと少しずつ移り始めていきます。




👉 日本の安楽死の歴史・事件を知りたい方は、こちらをご覧ください↓




海外では安楽死・医師による

死の援助の制度化が始まっていた


カナダ国内で議論が続く一方、海外では新たな制度づくりが進み始めていました。


1997年、アメリカ・オレゴン州では「Death with Dignity Act(尊厳死法)」が施行され、

一定条件下で医師による致死薬の処方が認められます。


👉アメリカ オレゴン州 安楽死法:申請から手続き・保護措置まで全プロセスを徹底解説↓




続いて2001年にはオランダ、2002年にはベルギーが、

厳格な要件と第三者による審査制度を備えた安楽死制度を法制化しました。


👉【最新版】オランダ安楽死2025年『年次報告書』完全解説|過去最多10,341件・制度運用・年齢・疾患・審査体制を徹底解説


👉ベルギー 安楽死の現状【2026年】制度・割合・条件・統計データを徹底解説




こうした海外の制度化は、カナダ国内で「禁止か容認か」だけでなく、

制度を導入する場合の条件や安全策を検討する際の国際的な比較材料の一つとなりました。



「制度を全面的に禁止し続けるだけで、

 本当に患者を守ることができるのだろうか。」



社会の関心は、禁止か容認かという対立から、安全な制度をどのように設計するかという現実的な議論へと変化していったのです。


※👉参考出典:Canadian Press『カナダにおける死の権利論争の主要な出来事の年表 |iNFOニュース|トンプソン・オカナガンのニュースソース』




こうした変化はすぐに法律を動かしたわけではありません。

しかし、患者、家族、医療者、法律家、そして市民による長年の議論は確実に積み重ねられていました。


カナダの安楽死(MAID)制度成立までの歴史を示す日本語インフォグラフィック。第1~3期の年表、スー・ロドリゲスやナンシー・モリソンの写真、法廷・議論の要点を青緑黄で整理。

そして2011年、その積み重ねが新たな憲法訴訟という形で再び動き始めます。

その中心にいたのが、Kay Carter氏Gloria Taylor氏でした。




👉 世界各国の安楽死制度を知りたい方は、こちらで解説しています↓




カナダ安楽死制度の転機──Kay Carter氏とGloria Taylor氏



左に「CARTER v. CANADA: THE DEATH WITH DIGNITY CASE」の文字、右に車椅子の高齢女性を囲む8人が屋外で並ぶ、真面目な記念写真。


ロドリゲス事件から約20年。

その間もカナダでは、「人生の最期を自分で決める権利」をめぐる議論が続いていました。


しかし、法律は変わりませんでした。

患者本人がどれほど耐え難い苦痛を抱えていても、医師が死を手助けすれば刑事罰の対象となる。

この現実は、多くの患者や家族にとって、大きな壁であり続けたのです。


そのような中、再び社会を動かす二人の人物が現れます。

Kay Carter(ケイ・カーター)と、Gloria Taylor(グロリア・テイラー)です。



Kay Carter(ケイ・カーター)。屋外の縁側で、眼鏡をかけた高齢女性が右を見つめている。背景に木々の緑がぼけ、静かな表情。
Kay Carter(ケイ・カーター)
Gloria Taylor(グロリア・テイラー)。紫の服と眼鏡の高齢女性が微笑むクローズアップ。背後にぼかしたロゴ文字がある室内の場面。
Gloria Taylor(グロリア・テイラー)

二人の境遇は異なりましたが、

「自らの人生の終わりについて、自分自身で決めたい」という願いは共通していました。


そして、この二人の思いが、後にカナダの歴史を変える裁判へとつながっていきます。



👉Supreme Court of Canada Carter v. Canada (Attorney General), 2015 SCC 5

カーター対カナダ(司法長官)- 最高裁判例⇩


カナダ最高裁判所の判決ページ。見出し「最高裁判所の判決」、事件「カーター対カナダ(司法長官)」、日付や事件番号が表示されている。



「なぜ自国で選ぶことができないのか」

Kay Carter氏の願い


Kay Carter氏は、重度の脊柱管狭窄症により、歩行や日常生活が著しく制限されるようになっていました。


病気は進行性ではありませんでしたが、激しい慢性的苦痛と身体機能の低下によって、

自立した生活は次第に困難になっていきます。


彼女は、自らの意思で人生の終わりを迎えたいと望みました。

しかし、当時のカナダでは、その願いをかなえることは法律上できませんでした。


そのため、2010年、90歳となったカーター氏は家族に付き添われてスイスへ渡航し、

現地で合法的な医師による自殺幇助を受けて亡くなります。


家族はその最期を見届けながら、ある疑問を抱きました。


「なぜ、母は自分の祖国ではなく、遠く離れた外国で人生を終えなければならなかったのか。」

この問いは、多くのカナダ国民にも共有されることになります。


「経済的な余裕があり、海外へ渡航できる人だけが、

 自ら望む終末期の選択をできる。」


その現実は、本当に公平と言えるのでしょうか。


カーター氏の死は、制度の是非だけでなく、

「医療へのアクセスの平等」という新たな論点も社会へ投げかけました。


Kay Carterの娘Lee Cater。青い服と眼鏡の女性がマイク前で胸に手を当てて話し、背後に紫のBC Civil Liberties Associationの幕がある。
Kay Carterの娘「Lee Cater(リー・カーター)」氏。彼女がグロリア・テイラーと裁判で共闘しました。

👉 出典参考Supreme Court of CanadaCarter v. Canada (Attorney General), 2015 SCC 5』


👉 安楽死と関係が深い「緩和ケアと安楽死の違い」は、こちらで整理しています↓






ALS患者・Gloria Taylor氏が訴えた「生き方」と「死に方」の自己決定


もう一人の原告となったのが、

ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていたGloria Taylor氏でした。


左:Kay Carterの娘「Lee Cater(リー・カーター)」氏 / 右:Gloria Taylor(グロリア・テイラー)氏。記者会見で、複数のマイクの前に座る2人の女性。右の女性が笑顔で左の女性を見つめ、背後にBC COAの看板がある。
左:Kay Carterの娘「Lee Cater(リー・カーター)」氏 / 右:Gloria Taylor(グロリア・テイラー)氏

ALSは、身体の筋肉が徐々に動かなくなり、最終的には呼吸筋まで障害される進行性の神経難病です。

皮肉なことに、これはスー・ロドリゲス氏と同じ病気でもありました。


Taylor氏は、自ら命を絶ちたいと考えていたわけではありません。

彼女が望んでいたのは、



「耐え難い苦痛に至ったとき、

 自分自身の意思で人生の最期を

 選択できる可能性を残しておきたい。」



ということでした。

彼女は法廷で、


「私は生きることを望んでいます。しかし、自分では耐え難いと判断したとき、その選択肢がほしいのです。」

という趣旨の訴えを行いました。

この言葉は、多くの人々に強い印象を与えました。


それは、「死にたい」という願いではなく、

「自分らしく生き抜くための自己決定」を求める訴えだったからです。


ロドリゲス氏から約20年。

再びALS患者が同じ問いを社会へ投げかけたことは、偶然ではありませんでした。


👉出典参考『Carter v. Canada (Attorney General), 2015 SCC 5』




Carter事件|安楽死問題が「憲法上の権利」の議論へ


ロドリゲス事件とCarter事件の大きな違いは、裁判の位置付けにありました。

ロドリゲス事件では、一人の患者が自らの権利を求めて裁判を起こしました。


一方、Carter事件では、この問題を



「カナダ憲法(権利自由憲章)が

 保障する基本的人権の問題」



として捉え直そうとする動きが始まります。


その中心となったのが、

『British Columbia Civil Liberties Association(BCCLA)』でした。




BCCLAは、長年にわたり市民の自由や人権問題に取り組んできた団体です。

同団体は、



「刑法による一律の禁止は、憲法が保障する

 生命・自由・身体の安全を侵害している可能性がある。」



として、カーター氏の家族やTaylor氏らを支援し、新たな憲法訴訟を提起しました。

裁判の名称は、



Carter v. Canada (Attorney General)



です。日本語で「カーター vs カナダ裁判」


この裁判は、単なる一つの医療事件ではありませんでした。



「国家は、耐え難い苦痛の中にある人に対し、

 どこまで自己決定を認めるべきなのか。」



という、カナダ社会全体の価値観が問われる裁判となったのです。


British Columbia Supreme Court または BCCLA関連写真.
BC Civil Libertiesの紫の幕を背景に、5人の登壇者が机に座って発言・待機する会見風景。名札と水差しが並ぶ。
BCCLAと原告二人



カナダ社会は「安楽死を認めるか」から

「制度をどう設計するか」へ


ロドリゲス事件の頃、多くの議論は、

「安楽死を認めるべきか。」

という賛否そのものに集中していました。


しかし、20年近く議論を重ねる中で、社会の関心は少しずつ変化していきます。

もし制度を認めるのであれば、


  • どのような患者を対象とするのか。

  • 医師は何人の確認を必要とするのか。

  • 本人の意思はどのように確認するのか。

  • 判断能力が失われた場合はどうするのか。

  • 濫用を防ぐためにどのような仕組みが必要なのか。


こうした「制度設計」の議論が活発になっていったのです。




司法判断だけでなく、社会も変わっていた


1993年、ロドリゲス事件後、20年で国民の意識も変化します。

2014年12月のAngus Reid Instituteの調査では、

医師による致死薬の処方を認めることについて



79%が支持



しました。

1993年には「認めるべきか」が大きな争点だったものが、2014年には、

「認めるか、ではなく、どのような条件で認めるのか」

へと、社会の議論も変化していたのです。


👉 カナダ司法省「Consultations on Physician-Assisted Dying」



つまり、カナダ社会は「認めるか、認めないか」という二者択一から、



「人の尊厳を守りながら、

 安全な制度をどのように作るか。」



という、より現実的な議論の段階へ進み始めていました。


そして、この積み重ねられた議論が、

2015年2月6日、カナダ最高裁判所による歴史的な判決へと結実することになります。




2015年2月6日──カナダ最高裁がCarter判決を下す



紫の背景にBC CLAロゴとTHE DEATH WITH DIGNITY DECISION EXPLAINED、右に黄色いスカーフの人々とCARTER V. CANADAの文字


2015年2月6日。

カナダ最高裁判所は、安楽死制度の歴史を大きく変える判決を言い渡しました。


Carter v. Canada (Attorney General)

それは、1993年のロドリゲス事件から約21年を経て下された、歴史的な憲法判断でした。



判決は裁判官9人

全員一致(9対0)



自殺幇助を全面的に禁止する刑法の規定は、一定の患者に対しては

カナダ権利自由憲章(Canadian Charter of Rights and Freedoms)第7条が保障する権利を

侵害しており、憲法に適合しないと判断されたのです。


21年前には5対4で維持された法律が、今度は全員一致で違憲と判断されました。

この変化は、単に裁判官の考え方が変わったというだけではありません。


20年以上にわたり積み重ねられた

患者や家族の声、医療現場の経験、海外で制度化が進んだ国々の実績、そして社会全体で続けられてきた議論が、司法判断にも大きな影響を与えた結果だったと言えるでしょう。


👉出典参考Supreme Court of CanadaCarter v. Canada (Attorney General), 2015 SCC 5




なぜ最高裁判所は判断を変えたのか


最高裁判所が重視したのは、

「人はどのように生きるか」だけではなく、

「人生の最期をどのように迎えるか」もまた、人間の尊厳と深く関わるという点でした。


判決では、自殺幇助を一律に禁止することが、憲章第7条の保障する


  • 生命(Life)

  • 自由(Liberty)

  • 身体の安全(Security of the Person)


を侵害する場合があると判断されました。


中でも注目されたのが、「生命権(Life)」についての考え方です。

一見すると、自殺幇助を禁止する法律は生命を守るためのものに思えます。


しかし最高裁は、現実には逆の結果を招いている場合があると指摘しました。

病気が進行して自力で意思表示や行動ができなくなることを恐れた患者が、



「まだ自分で行動できるうちに

 命を絶たなければならない」



と考えてしまう可能性があるというのです。



※👉 安楽死と自殺の違い・関係を整理したい方は、こちらをご覧ください↓



つまり、一律の禁止が、かえって命を早める決断を促してしまうことがある。

この論理は世界的にも注目され、Carter判決の大きな特徴の一つとなりました。


同時に裁判所は、耐え難い苦痛の中で生き続けることを法律が強制することは、

本人の自由や身体の安全に対する重大な制約にもなり得ると判断しました。




※日本の現状は、どうでしょうか?

身体疾患による苦痛と自殺の統計分析の日本語インフォグラフィック。2007〜2024年の推移を折れ線で示し、がんや身体障害との比較、2024年の人数表示がある。

👉身体疾患による苦痛と自殺の統計分析│公的データから見える見過ごされてきた規模




Carter判決が示した医師による死の援助の条件


一方で、最高裁判所は無条件に医師による死の援助を認めたわけではありません。

判決では、制度化が認められる対象について、次のような条件を示しました。



  • 成年であること

  • 判断能力を有していること

  • 本人が自由な意思で希望していること

  • 回復不能な重い病気・障害を抱えていること

  • その状態によって耐え難い苦痛が続いていること



※Carter判決が示した医師による死の援助の対象

最高裁判所は、無条件に医師による死の援助を認めたわけではありません。

判決では、少なくとも、判断能力のある成人が、生命を終わらせることに明確に同意し、

重篤かつ回復不能な医学的状態によって、本人にとって耐え難い持続的な苦痛を経験している場合について、一律禁止が憲章第7条に反すると判断しました。


重要なのは、最高裁がここで「余命○か月以内」という終末期要件を示していなかったことです。



この判決は、

「本人の自己決定を尊重すること」と、「弱い立場の人々を制度によって守ること」

の両立を目指したものでした。


最高裁判所は、適切な審査や制度設計によって濫用を防ぐことは可能であるとも述べています。

つまり、「禁止か自由か」という単純な二者択一ではなく、



厳格な条件のもとで

人の尊厳を守る制度を構築できるか



という視点へと議論を進めたのです。




👉 世界各国の申請プロセスをまとめて確認する場合はこちら(ハイライト)↓




「終末期」という条件は示されなかった


Carter判決でもう一つ重要なのは、最高裁判所が

「終末期であること」「余命が限られていること」を条件として示さなかった点です。


裁判所が重視したのは、「いつ亡くなるか」ではありませんでした。

重視されたのは、



「回復不能な病気や障害によって、

 本人にとって耐え難い苦痛が生じているかどうか」



でした。

この考え方は、翌年に制定される法律にも大きな影響を与えます。


もっとも、政府は2016年に制定したBill C-14で、最高裁判所の判決よりも『対象を限定』し、



「自然死が合理的に予見可能(Reasonably Foreseeable Natural Death)」

という条件を新たに設けました。



つまり、判決と法律の内容は完全に一致していたわけではなく

その後も制度の在り方をめぐる議論は続いていくことになります。


Bill C-14は2016年6月17日に国王裁可を受け、

刑法にMAIDの適格要件・安全策・監視・違反規定などを組み込んだ法律です。


👉 カナダ政府・Bill C-14原文



その後、この要件自体が2019年のTruchon判決を経て見直され、

2021年のBill C-7によって削除されることになります。


したがって、Carter判決→Bill C-14→Truchon判決→Bill C-7という流れを見ることが、

現在のカナダMAID制度を理解するうえで重要です。




👉 制度の厳しさ(厳格型・寛容型)の違いについては、こちらで整理しています↓




Carter判決からカナダ政府・議会による制度設計へ


違憲判決を下した最高裁判所は、

ただちに刑法の効力を失わせたわけではありませんでした。

もし即座に禁止規定を無効にすれば、制度が整備されていない状態で混乱が生じるおそれがあるからです。


そこで最高裁は、判決の効力を12か月間停止し、その間に議会が新たな法律を整備するよう求めました。

その後、議会の要請により猶予期間はさらに4か月延長され、連邦政府は制度設計の検討を進めることになります。


司法は制度化の必要性を示しましたが、具体的な制度をどのように設計するかは、

民主的に選ばれた議会へ委ねたのです。


この点もまた、カナダの制度成立過程を理解する上で重要な特徴と言えるでしょう。




👉 安楽死制度はどう導入されるのか|世界の「立法ルート・司法ルート・第三のルート」




カナダ安楽死制度成立までの20年が残したもの


スー・ロドリゲス氏が最高裁判所で問いかけたのは、

「この身体はいったい誰のものなのか。」

という、極めて個人的でありながら普遍的な問いでした。


その問いは、一人の患者だけのものではありませんでした。

Kay Carter氏、Gloria Taylor氏、家族、医療者、法律家、そして多くの市民が、それぞれの立場から同じ問いと向き合い続けたのです。


カナダの制度化までの道のりは、決して一直線ではありませんでした。

自己決定を尊重したいという思い。

命を守りたいという思い。

弱い立場の人々を守りたいという思い。


そのすべてが真剣に議論され、時に対立しながらも、社会全体で模索が続けられました。

だからこそ、2015年のCarter判決は「安楽死を認めた判決」ではなく、



「人間の尊厳を、法の下でどのように守るべきか」

 を問い直した判決



として、現在も世界各国で引用され続けています。



👉【2025年最新】カナダ安楽死(MAID)の実態|人数・条件・問題点を完全解説




次回予告


2015年のCarter判決によって、

カナダでは医師による死の援助を制度化することが憲法上求められることになりました。


しかし、それで議論が終わったわけではありません。

政府は最高裁判決よりも対象を限定したBill C-14を制定したため、

その後も再び違憲訴訟が起こります。


次回は、


「カナダ安楽死制度成立までの道のり③ 

 制度化、そして再び問われた『自己決定権』」


として、


  • 2016年 Bill C-14成立

  • 「自然死が合理的に予見可能」という条件

  • Truchon判決(2019年)

  • Bill C-7(2021年)

  • 現在のMAID制度


までの流れを詳しく解説します。




👉 安楽死とは何かを整理したい方は、こちらで全体像を確認できます↓


👉 各国の安楽死制度や最新動向については、世界の安楽死動向をまとめたこちらの記事もご覧ください↓


👉 世界の安楽死制度の成立経緯を年代順で知りたい方は、こちら↓




Carter判決までのカナダ安楽死制度の20年

出来事

意味

1993

ロドリゲス事件

最高裁が禁止を維持

1997

Nancy Morrison事件

医療現場と刑法の緊張

1997~98

Maurice Généreux事件

医師による自殺援助の刑事責任

1997

オレゴン州制度開始

海外で制度化が進展

2001

オランダ法制化

安楽死制度が国家制度へ

2002

ベルギー法制化

欧州で制度化が拡大

2010

Kay Carter氏がスイスへ

海外での死の援助

2011

Carter訴訟開始

憲法問題として再提起

2012

B.C.最高裁

一律禁止を違憲と判断

2014

79%支持

制度支持が多数派に

2015

Carter判決

最高裁が一律禁止を違憲と判断

2016

Bill C-14

MAID制度成立



「制度成立ルート」の図


ロドリゲス事件

社会的議論

医療現場の事件

海外制度化

Carter / Taylor

BCCLA

B.C.裁判

2015年最高裁

議会

2016年Bill C-14




FAQ


Q1.カナダの安楽死制度はいつ成立しましたか?

A.カナダでは2016年6月17日にBill C-14が国王裁可を受け、Medical Assistance in Dying(MAID)が連邦刑法上の制度として導入されました。


Q2.Carter判決とは何ですか?

A.2015年2月6日にカナダ最高裁判所が下した判決で、一定の成人について医師による死の援助を一律に禁止する刑法規定が、憲章第7条の生命・自由・身体の安全に関する権利を侵害すると判断しました。


Q3.Carter判決はいつ出ましたか?

A.2015年2月6日です。判例番号は2015 SCC 5です。


Q4.Carter判決では終末期であることが条件でしたか?

A.いいえ。最高裁判所が示した基準は、自然死が近いことそのものではなく、判断能力のある成人が明確に同意し、重篤かつ回復不能な医学的状態によって本人にとって耐え難い持続的苦痛を経験していることなどでした。


Q5.Kay Carter氏はなぜスイスへ行ったのですか?

A.当時のカナダでは医師による死の援助が刑法上禁止されていたためです。Carter氏は2010年、家族とともにスイスへ渡り、そこで死の援助を受けました。


Q6.Gloria Taylor氏とは誰ですか?

A.ALSを患っていたカナダ人女性で、Carter事件の原告の一人です。彼女は医師による死の援助を一律に禁止する刑法規定の合憲性を争いました。


Q7.Carter判決ですぐMAIDが成立したのですか?

A.いいえ。最高裁判所は違憲判断の効力を一定期間停止し、議会が制度を整備する時間を設けました。その後、2016年にBill C-14が成立しました。


Q8.カナダでは安楽死と自殺幇助の両方が認められていますか?

A.はい。カナダのMAIDには、医療者が薬剤を投与する方式と、本人が薬剤を自己投与する方式があります。現在の制度では、これらを連邦法上「MAID」という枠組みで扱っています。


Q9.カナダのMAID制度には反対・慎重論もありますか?

A.あります。研究者からは、脆弱な立場にある人への影響、制度の安全策、監視・データ収集、医療・社会的支援へのアクセスなどをめぐる懸念が指摘されています。


Q10.カナダのMAIDは現在も議論されていますか?

A.はい。適格要件、事前の意思表示、精神疾患を唯一の基礎疾患とする申請などについて、現在も制度の見直しや議論が続いています。Health Canadaも2025年に事前請求(advance requests)について全国的な意見聴取を行いました。






出典・参考資料


【一次資料・公的資料】


1.カナダ最高裁判所「Carter判決」

Supreme Court of Canada.Carter v. Canada (Attorney General), 2015 SCC 5, [2015] 1 S.C.R. 331.February 6, 2015.

概要:カナダの医師による死の援助をめぐる歴史的判決。刑法による一律禁止が、一定の成人について憲章第7条の「生命・自由・身体の安全」を侵害すると判断しました。本稿のCarter判決、判決理由、適格性の考え方の最重要一次資料です。



2.カナダ司法省「MAIDに関する連邦政府の対応」

Department of Justice Canada.Medical Assistance in Dying: Overview of Federal Government Response.

概要:Carter判決を受けた連邦政府の対応を整理した公的資料。判決の効力停止期間、Bill C-14の基本的な制度設計、セーフガード、適格性などを確認する際に有用です。現在はアーカイブ資料ですが、2016年制度成立前後の政府説明として重要です。



3.Bill C-14──2016年MAID制度成立の根拠法

Government of Canada.An Act to amend the Criminal Code and to make related amendments to other Acts (medical assistance in dying), S.C. 2016, c. 3.June 17, 2016.

概要:2016年にカナダでMAIDを刑法上制度化した法律です。Carter判決後、政府・議会がどのような適格性要件とセーフガードを法律に組み込んだのかを確認する一次資料として使用できます。



4.Health Canada「第6回MAID年次報告書」

Health Canada.Sixth Annual Report on Medical Assistance in Dying in Canada.2025.

概要:2024年のMAIDについて、申請22,535件、MAID実施16,499件、Track 1が95.6%、Track 2が4.4%など、現在の制度運用を示す最新の政府統計です。2026年時点の記事更新では、「現在のカナダMAID」を説明する最重要資料の一つとして掲載を推奨します。



5.カナダ議会図書館「Euthanasia and Assisted Suicide in Canada」

Library of Parliament.Euthanasia and Assisted Suicide in Canada.

概要:カナダにおける安楽死・医師による自殺幇助をめぐる法制度や政策議論を整理した議会関連資料です。国会議員・行政関係者を想定した記事では、政府・裁判所資料とは異なる「議会資料」として補完的に使用すると有効です。




【査読付き学術論文】


6.Carter判決そのものを法学的に分析した論文

Chan B, Somerville M.“Converting the ‘Right to Life’ to the ‘Right to Physician-Assisted Suicide and Euthanasia’: An Analysis of Carter v Canada (Attorney General), Supreme Court of Canada.”Medical Law Review. 2016;24(2):143–175.doi: 10.1093/medlaw/fww005.PMID: 27099364.

概要:Carter判決が「生命への権利」をどのように扱ったのかを法学・生命倫理の観点から分析した論文です。本稿の「なぜ最高裁判所は判断を変えたのか」という部分の補強資料として特に適しています。

※👉 PubMed|Chan & Somerville, 2016 Oxford Academic|Medical Law Review 掲載ページ



7.制度設計・倫理的問題を検討した論文

Landry JT, Foreman T, Kekewich J.“Ethical considerations in the regulation of euthanasia and physician-assisted death in Canada.”Health Policy. 2015;119(11):1490–1498.doi: 10.1016/j.healthpol.2015.10.002.PMID: 26518907.

概要:Carter判決直後のカナダで、制度を導入する場合に必要となる患者・医療者の自律、適格性判断、審査、制度設計上の倫理的課題を検討しています。本稿の「禁止から制度設計へ」というテーマと非常に相性のよい論文です。



8.実際の医療現場でMAID制度を導入した経験

Li M, Watt S, Escaf M, Gardam M, Heesters A, O’Leary G, Rodin G.“Medical Assistance in Dying — Implementing a Hospital-Based Program in Canada.”New England Journal of Medicine. 2017;376(21):2082–2088.doi: 10.1056/NEJMms1700606.PMID: 28538128.

概要:カナダのUniversity Health NetworkでMAIDの病院内プログラムを実際に導入した経験を報告した論文です。法律だけではなく、MAIDを医療現場でどのように運用するのかという「制度実装」の視点を補強できます。



9.MAID制度の問題点・セーフガードを検討した論文

Coelho R, Maher J, Gaind KS, Lemmens T.“The realities of Medical Assistance in Dying in Canada.”Palliative & Supportive Care. 2023;21(5):871–878.doi: 10.1017/S1478951523001025.PMID: 37462416.

概要:カナダのMAID制度について、実際のデータや事例を検討しながら、制度運用上の問題、セーフガード、医療・社会的な課題を論じています。推進側の資料だけではなく、慎重論・批判的検討を示す資料として重要です。



10.「脆弱性」をどう考えるかを検討した論文

Lazin SJ, Chandler JA.“Two Views of Vulnerability in the Evolution of Canada’s Medical Assistance in Dying Law.”Cambridge Quarterly of Healthcare Ethics. 2023;32(1):105–117.doi: 10.1017/S0963180121000943.PMID: 36503576.

概要:MAID制度の発展過程で、「脆弱な人を守る」とは何を意味するのかを法・倫理の観点から検討しています。自己決定権と弱い立場の人々の保護をどう両立するかという、本稿の制度設計論に直接関係する重要文献です。




【2026年・最新研究】


11.MAIDと緩和ケアの関係を扱った最新論文

Pirzada S, Kelly C, Bolton J, Roger K, Chochinov HM.“Medical assistance in dying and palliative care in Canada: clinical and ethical considerations in an evolving landscape.”International Review of Psychiatry. 2026;オンライン先行掲載、2026年6月3日.doi: 10.1080/09540261.2026.2672609.PMID: 42233721.

概要:MAIDと緩和ケアの関係について、臨床的・倫理的な論点を整理した2026年の最新論文です。「MAIDと緩和ケアは対立するのか」「心理・社会的苦痛をどう考えるか」というテーマの補強資料として有用です。

PubMed|Pirzada et al., 2026




※本稿の情報源について

本稿では、カナダ最高裁判所の判例、カナダ政府・Health Canada等の公的資料を一次資料として優先し、制度の法的背景・医療現場・倫理的課題については査読付き学術論文を参照しています。

また、MAID制度の評価については、制度の実施・運用を肯定的に扱う研究だけでなく、脆弱性やセーフガード、制度上の問題を指摘する研究も併記しています。

各資料の主張と本稿の記述が完全に一致するとは限らないため、可能な限り原資料をご確認ください。



※Carter判決・MAID制度には批判的な研究もある

Carter判決による一律禁止の違憲判断や、その後のMAID制度については、すべての研究者が同じ評価をしているわけではありません。


例えば、ChanとSomervilleはCarter判決について、憲章第7条の解釈や生命権の扱い、海外の制度に関する証拠評価などを批判的に分析しています。


また、Coelhoらは、カナダのMAID制度について、安全策、監視、データ収集、社会的・医療的支援へのアクセスなどに懸念を示しています。



本記事では、制度化を支持する立場だけでなく、このような批判・慎重論も確認したうえで、カナダの制度成立過程を整理しています。

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