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尊厳死法制化に反対する医師は何を主張してきたのか|緩和ケア医・新城拓也氏の「終末期は診断できない」という論理

  • 執筆者の写真: リップディー(RiP:D)
    リップディー(RiP:D)
  • 2月9日
  • 読了時間: 15分

更新日:4月3日

※最終更新日:2026年3月27日(随時更新)


終末期の定義が曖昧であるならば、安楽死制度の前提そのものが揺らぐことになります。

終末期医療をめぐる議論において、「いつからが終末期なのか」という問題は極めて重要な意味を持ちます。


なぜなら、多くの安楽死制度は「回復の見込みがなく、死期が迫っている患者」であることを前提条件としているためです。この前提が不確かである場合、制度そのものの正当性にも疑問が生じることになります。


日本の緩和ケア医である『新城拓也』医師は、まさにこの点に着目し、


「終末期は明確に診断できない」


という立場から、尊厳死や安楽死の制度化に慎重な見解を示してきました。

この主張は、単なる倫理的反対ではなく、医療の不確実性に基づく重要な問題提起と言えます。


一方で、海外では


複数の医師による確認や厳格な基準を設けることで、

一定の条件のもとで安楽死制度が運用


されている現実もあります。

こうした制度設計は、終末期の不確実性という問題にどのように向き合っているのでしょうか。


本記事では、新城拓也医師の発言とその論理を整理し、「終末期は診断できない」という主張が持つ意味を丁寧に読み解きます。そのうえで、この論点が安楽死・尊厳死の議論にどのような影響を与えるのかを、多角的に検討していきます。


👉 安楽死の基本はこちら


🎧音声による動画解説



要約図(自由使用可)


新城拓也医師の反対理由を示すポスター。割れた砂時計や医療機器で終末期診断の不確実性を強調。黒と赤の配色。


尊厳死法制化を否定する緩和ケア医の論理|新城拓也氏の主張とその問題点


「尊厳死の法制化を認めない市民の会」発足集会と緩和ケア医『新城 拓也』氏


10数年以上前に遡ります。

2012年8月27日、「尊厳死の法制化を認めない市民の会」は発足集会を開催しました。

2012年8月27日の「尊厳死の法制化を認めない市民の会」案内。開催場所はホテルグランドヒル市ヶ谷。

この集会は、2012年に国会提出が検討されていた尊厳死法案に対し、

市民・医療者・障害者運動などが横断的に異議を唱えた象徴的な場でもありました。


2012年8月に尊厳死の法制化を認めない市民の会、の様子。茶色の壁の会場で、多数の人々が椅子に座り、配布資料を手に持ちながら前方を見ている。スーツやカジュアルな服装の混在。

もちろん、尊厳死や安楽死を反対する集団の一角には


2012年8月に尊厳死の法制化を認めない市民の会、に参加する社民党党首、福島瑞穂。青いスーツを着た女性がマイクを持って演説中。背景はベージュ色で落ち着いた雰囲気。胸にバッジがあり、集中した表情。

衆議院ゼロ議席となった、社民党党首、福島 瑞穂(そして、その周縁集団)がいるのは、お約束の展開です。


※👉 会の様子は、こちらで説明しています↓


この場において、反対の立場から発言していた医師の一人が、緩和ケア医である

『新城拓也』氏です(尊厳死の法制化を反対する医師)。


男性がマイクを持って話している。グレーのポロシャツを着用し、背景は明るい室内。落ち着いた表情で観客に向かって話をしている。2012年8月に尊厳死の法制化を認めない市民の会、に参加する新城拓也、緩和ケア医

新城氏は当時から現在に至るまで、


尊厳死・安楽死に対して

一貫した否定的立場


を取り続けており、その言説は、単なる個人の意見にとどまらず、日本の緩和ケア医療が共有してきた価値観や思考様式を、極めて端的に示しているものといえます。


本稿では、まず2012年の尊厳死法案に対する新城医師の主張を、可能な限り正確に整理します。

その上で、その論理構造を検討することを通じて、


・日本の緩和ケアがどのような前提に立ち、

・何を問題視し、

・そして何を制度的に放置してきたのか


を明らかにしていきます。



1.新城拓也医師の主張の核心|「終末期は診断できない」という反対論(尊厳死 法制化 反対 医師)


まず、2012年の尊厳死法案に反対した彼の主張を簡潔に整理します。  

彼の反対論の中核は、次の一点に集約されるでしょう。


「医師は終末期を科学的に診断できない。ゆえに、

終末期を前提とする尊厳死法案は危険である」


※👉 日本で尊厳死(消極的安楽死)の法制化がされていない理由はこちら


この主張は、以下の論点によって補強されています。



尊厳死法案はなぜ危険だとされるのか|予後予測と医師の主観性


予後予測には本質的な不確実性があり、医学的に見ても、精度をもって見通せるのはおおむね30日程度に限られるとされています。


緩和ケア、新城 拓也のX投稿文。医師ががん患者の余命についてTwitterで解説をしています。赤のアンダーラインで強調された「30日以内かどうかしか分からない」などの文が目立ちます。緑のリンクも確認できます。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓



終末期か否かの判断は、客観的な医学データのみで完結するものではなく、

医師個人の経験や記憶、主観的判断に大きく左右されると指摘しています。


緩和ケア、新城 拓也のX投稿文。新城拓也の2つのツイートが表示されている画像。余命判断についての批判が述べられ、科学的根拠の欠如が指摘されている。
余命判定はまだ「占い」のレベル、という主張

※X投稿文はこちらから御覧ください↓



「この患者は最終的に亡くなる運命だった」と言えるのは、

亡くなった“あと”になってからであり、

治療の途中段階でそれを確定的に判断することはできない、


と意見を繰り返し主張しています。


👉 現実の医療はこちら


 👉 緩和ケアの仕組みはこちら



したがって、尊厳死法案は 


・医師の価値判断による命の選別 

・優生思想的な「慈悲殺(mercy killing)」 


へと転落する危険性を内包している、と(飛躍的に)結論づけています。

(※なぜ一気呵責に“優生思想”に関係させるのか…支離滅裂ですが、そういう主張です)

赤い下線が引かれた日本語のテキスト。医療に関する内容で、医師や患者の命に関する議論が記載されています。緩和ケア、新城 拓也の投稿文


川口有美子と新城拓也のツイートのやり取り。高齢者や障害者差別、尊厳死についての議論。日付は2012年3月7日。緩和ケア、新城 拓也のX投稿文

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


川口 有美子:尊厳死の法制化は高齢者や障害者などの弱者差別

(そんな身体では死んだほうがまし)を助長する傾向にある。

新城拓也:尊厳死の核心をついています。



新城拓也のツイート。尊厳死についてのコメント。患者に優しく、希望を処し続けることを求める。投稿日は2012年4月5日。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


医師の自分の理想の死に方を体現するために、尊厳死を語るのはやめてください。

ただひたすらに患者に優しく、彼らの希望を処方し続けてください。

(でも、どんなに壮絶な苦痛があっても尊厳死も安楽死も認めないよ)

(その希望は間違っているから)

(オレ、新城医師の理想の死に方に、他の医師も従うべき!)

(※分析者には、この主張がこのような含意を持つように読めます)


死に方は彼らが決めますからひたすら聞き続けてください。

免責や裁判、職を失う不安を打ち消すためにこの法案を支持するのは間違いです。



新城拓也のツイート。医師が尊厳死に関する議論を紹介。優生思想や死生観について述べ、他人の引用を含む。2013年7月31日。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


底流する優生思想、「こんな状態で生きているなら死んだ方がまし」という思想が、

50~80代の方々がよく口にされる死生観のようです。

(※50~80代の患者に「お前らの考え方は間違い」と言ってのけ、朝日新聞ばりの上から目線での投稿が多いのが特徴です。)



新城拓也のツイート。医療に対する考えを述べ、病気を通じて学ぶことの重要性を強調。日付は2013年12月8日。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


しかしその心の中には要、不要の強い信念や、優生思想が見え隠れします。

本来病気は人生の中で避けられない事態です。

病気を通じて学ぶ人生の課題を忌避したいという考えが医療を変質しているのです。


※「病気を通じて学ぶ人生の課題を忌避したい」

“病”から結果的に得られる学びはあるかもしれないですが、

それを前提・目的のように語るのは、押しつけがましく感じる人が大半でしょう。



新城拓也のツイート。@tako_ashiへの返信で、尊厳死に関する意見を述べ、優勢思想について言及。2014年1月10日。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


むしろ、こんなになっても生きている意味ないでしょ?の優勢思想が蘇生しているんです。


👉 実際に緩和ケアを受けても、どれだけ苦痛が残るか




安楽死否定へと連なる論理|緩和ケア万能論の前提


そして、この議論は、安楽死制度そのものへの否定へと繋がっていきます。


「生きる権利と、苦しまない権利を十分に保障し、緩和ケアを徹底すれば、

『死なせてほしい』という


訴えの多くは、

適切なケアによって変化


する。

したがって、安楽死を“最後の手段”として位置づけること自体が誤りである。」


  • 「生きる権利をきちんと保障してこそ、死ぬ権利がある」


  • 「生きる権利、苦しまない権利が軽視されている」


  • 緩和ケアを徹底することで「死なせてほしい」という訴えが減る/変わる


  • 安楽死は苦痛からの最後の手段ではない


  • 「死なせてほしい」は信頼関係の証だが、

    適切なケアで生きる方向に変わることが多い


  • 変わらない患者もいるけど、それは自殺でOK

    (※このように読める、という意味です:後述)


新城拓也のツイート。穏やかな死についての意見と記事リンク。背景は白。テキストに強調表示あり。投稿日は2017年10月27日。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


私は充実した緩和ケアをきちんと実行できれば、

苦痛から逃れる最後の手段として安楽死を考えないのではないかと思っています。


安楽死は、苦痛から逃れる最後の手段ではない

(BuzzFeed Japan)- Yahoo!JAPAN共同企画


新城拓也によるツイート。熊本大学の講義準備で、著者と対談。安楽死や社会保障制度の弱さについての考察を共有。

※X投稿文はこちらから御覧ください↓


…「安楽死が合法の国でおこっていること」(ちくま新書、2023)の作者、

 児玉真美さんと1時間話した。1年ごとに知識をアップデートしています。

社会保障制度の弱い日本で安楽死の導入は拙速だなと考えています。


👉※安楽死 反体勢力については、こちらから


日本の安楽死反対勢力を説明するインフォグラフィック。赤と黒の背景にテキストとアイコンが配置され、3大組織の紹介。

※👉 現場の実態はこちら


※👉 鎮静の実態はこちら



一見すると、新城拓也氏の主張は、医療の不確実性を正面から引き受け、拙速な制度化に歯止めをかけようとする点で、きわめて慎重かつ倫理的配慮に富んだ立場であるように見えます。


とりわけ、終末期診断の不確実性や、医師の主観的判断が生命の帰趨を左右しかねない危険性を強調する姿勢は、医療権限の濫用を警戒するものとして、一定の説得力を有しています。


また、「生きる権利」や「苦しまない権利」を優先し、緩和ケアの充実によって患者の訴えが変化し得るとする議論は、医療の責務を安易に放棄しないという意味において、倫理的に高い理想を掲げているようにも受け取られます。

このため、これらの主張は、人命尊重を基調とする慎重論として、多くの人に直感的な納得感を与えるものではあります。


しかしながら、こうした一見周到に構築された論理の内部には、前提の置き方そのものに由来する、


看過できない

決定的な誤り


が含まれています。


その誤りは、単なる制度設計上の欠点にとどまらず、


「不確実性」を理由として、

特定の選択肢そのものを

原理的に排除してしまう思考構造


に関わる問題であり、

結果として患者の自己決定を不当に狭めてしまう危険を孕んでいます。



👉 実際に、尊厳死はもちろん、安楽死を法制化している国はこちら



2.反論の要点|「終末期を診断できない」ことは制度否定の理由にならない


新城氏の議論が破綻している理由は明確です。


「終末期を完全に診断できない」ことと、

「終末期医療を制度化してはならない」ことの間には、

論理的な必然性が存在しません。


むしろ逆に、


終末期を制度化しなかったことこそが、日本において


「世界的には虐待とされる延命治療」


を野放しにしてきた結果につながっています。


👉「尊厳死・延命治療とは」については、こちらから御覧ください↓



3.反論 ① 「終末期は診断できない」

――だからこそ法制化すべき


Ⅰ.医学が不確実であることは、制度否定の理由にはならない


新城医師は繰り返し、


「終末期の診断は占いの域を出ない」


と述べています。

しかし、これは


医学という営みそのものを

否定することに等しい


と言えます。そもそも


・がんの進行予測

・認知症の予後

・心不全や呼吸疾患の重症化

・治療効果や副作用の見込みなど


これらはいずれも確率的判断であり、

100%の確実性は存在しません


それでも医学は、


・様々な評価法

・ガイドライン

・継続的な再評価

・記録と検証


といった仕組みによって制度として運用されています。


⇒ 不確実性は、制度を否定する理由ではなく、

 制度設計を必要とする理由です。




Ⅱ.「占い」だとされるのに、なぜ延命治療だけが正当化されるのか


新城医師の論理における最大の矛盾は、ここにあります。

彼は次のように述べています。


・終末期と判断するのは危険である

・それは医師側の価値判断によるもの

・命の線引きになる


という点です。

しかし現実には、日本では、


・人工呼吸器の装着

・胃瘻や経管栄養

・透析や昇圧剤などを用いた集中治療


といった強力な「生存延長の判断」が、


同じ不確実な予測のもとで日常的に


行われています。

ここで問われるべきは、次の点です。


なぜ「死に近い判断」は価値判断とされ、


「生を無期限に延ばす判断(延命治療)」は

 価値判断と見なされないのでしょうか。


これは論理的に成立しません。


延命治療こそが、「この命は延ばす価値がある」という

 価値判断にほかなりません。


👉安楽死と尊厳死の違いをわかりやすく解説



4.反論 ② なぜ延命治療だけが正当化されるのか|日本の終末期医療の構造的偏り


新城医師は、


「今行っている治療が延命か過剰かは、

事後的にしか分からない」


という主張を展開しています。


しかし、この指摘は尊厳死を否定する根拠にはなりません。

なぜなら、

延命治療も、抗がん治療の中止も、透析や昇圧剤などを用いた集中治療も、


すべて事後的にしか評価できない医療行為


だからです。それにもかかわらず、日本では、


「やめる判断」だけが極端に忌避され、

「続ける判断」は無批判に正当化されています。


⇒ これは医学的に合理的だから起きているのではなく、

 「やめることを避け、続けることを選びがち」という

 日本の医療文化や制度の偏りによって生じている問題です。



5.反論 ③「医師による殺人」論の問題点|

 尊厳死と自己決定のすり替え



新城医師は、尊厳死法案が


医師による命の選別・慈悲殺・殺人に近い状況


を生むと強く警告しています。


テキストの画像。文中の一部が赤い下線で強調されています。真剣な内容を示唆しています。背景は白です。緩和ケア、新城 拓也の投稿文

しかし、尊厳死制度が問題にしているのは、「誰を殺すか」ではありません。

問題にしているのは、回復不能な状況にある患者が、自らの治療方針について

どこまで意思を反映できるのか、という点です。


治療の差し控えや中止をすべて「殺人」とみなすなら、

現在の医療現場で日常的に行われている判断の多くも、同様に否定されなければなりません。

ここには、


議論の前提をすり替えることで、

制度的議論を封じてしまう構造


があります。



6.反論 ④「尊厳は生に宿る」という理念が覆い隠す制度不在の現実


テキストが表示され、重要な部分に赤い下線が引かれています。内容は命の価値や尊厳についての考察です。緩和ケア、新城 拓也の投稿文

新城医師は、

「尊厳は死の瞬間にあるのではなく、

生きている過程そのものにある」

と述べています。


しかしながら「尊厳は生に宿る」という言葉は、

制度が整っていない日本の終末期医療の現実を、

きれいな理念で

覆い隠してしまっています。


この言葉自体に異論はありません。

しかし、その言葉が


現実の制度不在を正当化する

免罪符として用いられるとき、


問題は深刻になります。制度がない現場では、


・患者の意思は曖昧なままにされ

・家族が代理決断を迫られ

・医師は責任を個人で抱え込む


という構造が生まれます。

美しい理念だけでは、現実の苦痛や葛藤は解消されません。


尊厳死の制度化に関するイラスト。患者や家族、医師が苦悩する様子が描かれ、山道と明るい未来へ続く道が背景に描写されている。


7.まとめ|尊厳死法制化を拒み続けた結果、日本で起きていること


新城医師の反対論は、結果として、日本の終末期医療における

制度停滞を正当化する言説の一部として機能してきました。

それは医師の善意と献身を前提に、制度化を拒否する思想でした。


しかしその結果、


・患者の自己決定権は制度的に守られず、

・家族は代理決断の重荷を背負い、

・医師は責任回避に追い込まれ、

・世界では虐待とされる延命医療が温存されてきました。


尊厳死や安楽死は、命を切り捨てる制度ではありません。

意味のない苦痛を、これ以上、強制しないための制度です。


制度を持たないことが中立である時代は、すでに終わっています






「緩和ケアか自己責任の自殺か」という危険な二択

新城拓也のツイートとそれに対する返信。緩和ケアや安楽死について議論している。スクリーンショットには文字が表示されている。

安楽死をするのなら、緩和ケアを受けてほしい。

もっと言うなら緩和ケアを受けてもやはり自死を望むならそれはもう仕方がない



「緩和ケアを受けてもなお自死を望むなら、

 それはもう仕方がない」


この一文が、どれほど危うい含意を持つか、 国民はもっと自覚すべきではないでしょうか。 この言葉によって一気に宙づりにされるのは、


・緩和ケアが実際には効かない苦痛の存在

・それでもなお生き続けることを当然視される義務

・その限界に直面したときの医療の責任の所在 です。


問題は、緩和ケアが万能ではないことを認めながら、

その「先」にあるべきものが、何一つ示されていない点にあります。


本来問われるべきは、


・耐え続けることを拒否する権利はあるのか

・緩和ケアが限界に達したとき、

 制度としての別の選択肢は用意されているのか


という問いのはずです。

しかし、それが語られないまま 「それでも自死を望むなら仕方がない」 と切り取られた瞬間、論理は


「あとは本人の自己責任」

「医療はそこから手を引く」


という地点に落ちてしまいます。 意図がどうであれ、帰結として


“見捨て・切り捨て”


が生じる構造になってます。 これは、終末期医療や緩和ケアの倫理として、

決して軽く扱ってよい問題ではありません。



👉安楽死と自殺の違い



「緩和ケアか、自己責任の自殺か」

その二択しか提示しない言説


は、人道的に見て、やはり問題視せざるを得ません。

残念ながら、現在の緩和ケア業界の体質は、こういう考えの元に動いています。


この投稿文と新城医師の証言は、緩和ケア業界の正体と素顔が如実に表れています。

国民の多くが『緩和ケア業界の本性』を知らなくてはいけません。


👉 他の医師の立場はこちら

安楽死 反対 緩和ケア医 一覧|日本で公に反対姿勢を示す医師まとめ
www.rest-in-peace-with-dignity-ripd.com
安楽死 反対 緩和ケア医 一覧|日本で公に反対姿勢を示す医師まとめ
🎧音声による動画解説緩和ケア医│日本で公に反対する緩和ケア医たち要約図(自由使用可)メディアで公けに安楽死を反対する緩和ケア医 一覧・廣橋(ひろはし) 猛|日本緩和医療学会 理事 ・勝俣 範之│緩和ケアと腫瘍内科の専門医・新城 拓也│在宅緩和ケア医・西 智弘・大津 秀一・佐々木 淳・木村 知・萬田 緑平・四宮 敏章(Dr. Tosh) ・鬼澤 信之安楽死に反対する緩和ケア医の一覧(日本)本ページの趣旨|安楽死に「理解」を示しながら反対する医師たち本ページでは、安楽死に一定の理解を示す言説を用いながら、実際には一貫して反対姿勢を取り続けている日本の緩和ケア医を整理・紹介します。彼らはしばしば「安楽死を全面的に否定しているわけではない」「苦しむ患者の気持ちは理解している」と述べます。しかし、その発言と行動、制度議論における立ち位置を時系列で確認すると、結果として安楽死制度の検討・制度化を事実上阻止してきた構図が浮かび上がります。※用語・前提知識について緩和ケアや持続鎮静について十分な前提知識がない場合、以下の解説を先に参照してください。 間接的安楽死(→ 持続鎮静)  緩和ケアの限界 持

FAQ


Q. 終末期は本当に正確に診断できないのですか?

A. 終末期の診断は一定の医学的基準に基づいて行われますが、個々の患者の経過には個人差があり、完全に正確な予測が難しいケースもあると指摘されています。


Q. 終末期が診断できない場合、安楽死制度は成り立たないのですか?

A. 一部の医師はそのように主張していますが、海外では複数の医師による確認や厳格な条件を設けることで制度化されている例もあります。


Q. なぜ医師は安楽死に慎重な立場を取るのですか?

A. 誤診のリスクや回復可能性の見落とし、医療倫理との関係などが懸念されるためです。


Q. 安楽死と尊厳死は同じものですか?

A. いいえ。尊厳死は延命治療の中止などによって自然な死を迎える考え方であり、安楽死とは異なる概念です。


Q. 日本では安楽死は合法ですか?

A. 現在、日本では安楽死を明確に認める法律はなく、制度としては確立されていません。


Q. なぜ安楽死の議論は難しいのですか?

A. 医学的判断の不確実性、倫理、法律、患者の自己決定権など複数の要素が複雑に絡み合っているためです。

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