安楽死制度は不要なのか?社会支援が行き届けば解決するという主張の限界を検証する
- リップディー(RiP:D)
- 1 日前
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安楽死制度をめぐる「支援不足論」とは何か
安楽死制度をめぐる議論のなかで、繰り返し語られる主張があります。
「社会支援が十分にあれば、安楽死は必要ない」「いま議論すべきは制度ではなく、福祉やケアの充実だ」
この言葉は、一見すると非常に正しく、思いやりに満ちたものに聞こえます。誰もが安心して生きられる社会をつくる――それに異論はありません。
実際、緩和ケアや福祉政策に関わる多くの人々は、「安楽死の議論は、支援の不足という本質的問題を覆い隠してしまう」と警鐘を鳴らしています。
それらは人権や福祉を重視する姿勢から発せられたものであり、決して軽視されるべきものではありません。
しかし、その論理には、看過できない構造的問題が含まれています。
本稿では、「支援が行き届けば安楽死は不要である」という主張を丁寧に整理し、その限界を検証します。
① 「支援・福祉・ケアの不足である」という主張
反対派の主張は、おおよそ次のように整理できます。
・安楽死を望む背景には、経済的不安や孤立、介護負担がある
・社会保障が十分であれば、死を望む状況は減る
・制度化は、社会の責任を個人の「選択」に転嫁する危険がある
つまり、
「死を選ばざるを得ない社会のほうを変えるべきだ」
という立場です。
この視点は重要です。実際、貧困や孤立のなかで追い込まれた選択があってはならない。
それは当然の倫理的前提です。
しかし、ここで一つの問いが残ります。
本当に、支援が整えば
“すべて”解決するのでしょうか。
② 「支援があれば救える」という前提は現実と整合しているか
反対派が強調する「問題は制度ではなく支援不足である」という議論には、重大な前提があります。
それは、
「十分な支援があれば、死を望む状況は基本的に消える」
という前提です。
しかし、これは現実と整合しているでしょうか。
現代医療と福祉は確かに進歩しました。
緩和医療も発展し、多くの苦痛は軽減可能になっています。
それでもなお、次のような現実があります。
・緩和医療を尽くしても制御不能な疼痛
・呼吸困難や窒息感の持続
・ALSや神経変性疾患に伴う進行性の身体機能喪失
・自己決定能力を失っていく過程そのものへの深い恐怖
これらは「支援が足りないから」生じているのでしょうか。
実際、オランダやベルギーなど、世界でも最も充実した医療・福祉制度を持つ国々でも、安楽死制度は存在し、一定数の利用があります。
これは、「支援不足」だけでは説明できない現実です。


(参照)
③ 実存的苦痛と緩和ケアの限界――安楽死制度議論の核心
医学的苦痛と並んで、しばしば語られるのが「実存的苦痛」です。
・自分らしさを失っていく感覚
・他者との関係性が崩れていく恐怖
・意識はあるのに身体が動かないという閉塞感
・延命の先に見える、避けがたい衰弱のプロセス
これらは、生活支援や経済支援の充実だけでは解消できません。
「支援があれば救える」という主張は、こうした苦痛を
“理論上の例外”
として扱いがちです。
とりわけ医療や福祉の現場では、こうした問題が「緩和技術のさらなる向上」や「コミュニケーションの工夫」によって対応可能であるかのように語られることがあります。
もちろん、専門職の努力や誠実な実践を否定するものではありません。
しかし、その枠組みの外にある苦痛――すなわち、技術や対話では根本的に解消しきれない実存的な苦悩――が存在することもまた事実です。
それを「改善可能な課題」としてのみ整理してしまうと、当事者が訴えている切実な現実が見えにくくなります。
しかし当事者にとって、それは例外ではありません。
それは、今まさに経験している現実です。
④ 「制度議論は早すぎる」という主張の構造
もう一つの典型的な主張は、
「支援が完全に整ってからでなければ、制度議論はすべきではない」
というものです。
しかし、社会保障が“完全に整う日”は来るのでしょうか。
福祉政策は常に改善の途上にあります。医療もまた、完全ではありません。
「まず支援を」という言葉が、結果として
制度議論そのものを
永久に先送りする装置
になっていないか。
そこは冷静に検証する必要があります。
⑤ 安楽死制度と社会支援は両立し得るのか
ここで重要なのは、対立構造の整理です。
・支援を充実させること
・安楽死制度を慎重に設計すること
この二つは、本当に両立しないのでしょうか。
海外の事例を見ると、緩和医療と安楽死制度が並行して発展していくのが、現代の潮流となっています。
制度を議論することは、支援を軽視することと同義ではありません。
むしろ、制度を設計する過程で、
・どのような社会的圧力を排除すべきか
・どのような確認手続きが必要か
・どの段階で医療介入が妥当か
といった具体的な議論が進みます。
議論を封じることは、当事者の苦痛を見えない場所に置き続けることでもあります。
⑥ 当事者の声と制度設計の課題
「支援があれば救える」という言葉は、善意から出発しています。
しかしその言葉が、
・苦痛を訴える当事者に
・すでに十分な支援を受けている人に
・それでもなお死を望むほどの苦悩を抱えている人に
向けられたとき、
その現実を「理論的には解決可能」と処理してしまっていないでしょうか。
現実が理論に合わないとき、修正されるべきは理論のほうです。
まとめ|安楽死制度と社会支援を対立させないために
――「支援か制度か」という誤った対立を超えて
私たちは、支援の充実を否定しているわけではありません。
むしろ、支援は不可欠です。社会的孤立や経済的困窮のなかでの選択は、決して自由とは言えません。
しかし同時に、
・支援では解消できない苦痛があること
・福祉国家であっても制度は存在していること
・当事者の声を一律の理論で封じるべきではないこと
この現実もまた、直視する必要があります。
「社会支援が行き届けば安楽死は要らない」という言葉は、希望としては理解できます。
けれども、それを前提に制度議論そのものを否定することは、問題を単純化しすぎているのではないでしょうか。
私たちは、
・支援を最大限に整備しながら
・それでも残る苦痛について正面から向き合う
その両立を模索する議論こそが必要だと考えます。
感情的な対立ではなく、当事者の現実に根ざした冷静な議論を。
それが、市民社会に求められている姿勢ではないでしょうか。
参考・出典
Rest in Peace with Dignity 公式サイトhttps://www.rest-in-peace-with-dignity-ripd.com/
同サイト掲載記事「安楽死反対は誰を守っているのか――障害者団体・福祉系NPOの論理構造を検証する」
オランダ地域安楽死審査委員会 年次報告書
ベルギー連邦安楽死評価委員会 公開資料

