安楽死の強制リスクとは何か──社会的圧力・同調圧力は本当に現実的なのか
- リップディー(RiP:D)

- 1月2日
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🎧音声による動画解説
安楽死の強制リスクとは何か
──社会的圧力・同調圧力は本当に現実的なのか
安楽死の話題になると、ほぼ必ず出てくる言葉があります。
それが、
・「同調圧力で、死を選ばされる社会になる」
・「弱者は“いなくなったほうがいい”という空気が生まれる」
・「本当は生きたいのに、周囲の雰囲気で安楽死を選ばされるのではないか」
という不安です。
いわゆる「安楽死の強制リスク」問題です。
この不安は、決して突飛なものではありません。
むしろ日本社会をよく知っている人ほど、「あり得そうだ」と感じるでしょう。
だからこそ、この論点は感情論で片づけず、一度きちんと分解して考える必要があります。
安楽死をめぐる「強制圧力」への不安とは
なぜ「同調圧力で安楽死を選ばされる」と言われるのか
① 日本社会は「空気」に弱いという指摘
日本では、
・迷惑をかけない
・周囲と足並みをそろえる
・空気を読む
ことが美徳とされがちです。
そのため、
「もう十分生きたでしょ」
「これ以上、家族に迷惑をかけなくても…」
という誰も明確には言わないけれど、漂ってしまう雰囲気が、
本人の意思に影響を与えるのではないか、という懸念が出てきます。
② 「弱者はいらない社会」になるのではないかという恐怖
特に語られるのが、
・障害のある人
・高齢者
・長期 被介護者
が、「生きているだけでコスト」「社会のお荷物」と見なされ、“空気として”死を選ぶ方向へ追い込まれるのではないか、という懸念です。
これは優生思想やナチスを連想させる言葉と結びつけて語られることも多く、感情的に非常に強い訴求力を持っています。
③ 「それ、本当に本人の意思?」という疑問
さらに、
「人はそんなに自由に意思決定できるのか?」
「家族や医師の期待に影響されているだけでは?」
という問いも出てきます。
確かに、人の意思は環境に左右されます。
この点を無視して、「本人が選んだんだからOK」と言うのは雑だ、という主張には一理あります。
ここまで見ると、「やっぱり危険なんじゃない?」と思う人も多いはずです。
では次に、この不安に対する反論を、一つずつ見ていきます。
安楽死は本当に「強制される制度」になり得るのか
① 選択肢の存在と強制はまったく別である
まず一番大事な点です。
安楽死制度がある=死ねと言われる
ではありません。
これは、
・延命治療を「受けない」という選択
・抗がん治療を「やめる」という選択
がすでに医療現場で認められているのと同じ構造です。
選択肢が増えることと、その選択肢を押し付けられることは、まったく別です。
この区別を曖昧にすると、議論が一気に混乱します。
② 同調圧力があるから制度を否定する論理の問題点
ここで、少し厳しいことを言います。
同調圧力は、安楽死がなくても、すでに存在しています。
たとえば、
・「これ以上、延命しても意味があるのか」
・「家族が疲弊している」
・「医療費がかかりすぎる」
こうした圧力は、安楽死制度がなくても、終末期医療の現場には普通にあります。
にもかかわらず、
「圧力があるかもしれないから、選択肢そのものを消す」
というのは、論理としてはかなり乱暴です。
本来問うべきなのは、
・圧力をどう減らすか
・本人の意思をどう丁寧に確認するか
であって、制度をゼロにすることではありません。
③ 合法国に「死ね圧力社会」は生まれていない
強制リスクを声高に叫ぶ割りに、実は明快な事実があります。
オランダ、ベルギー、カナダなど安楽死を合法化した国で、
「弱者が社会的に死を強要されるようになった」
という明確な実証データは存在しません。
世の中には安楽死に関する書籍が沢山ありますが、「安楽死が合法の国で起こっていること」たった一冊の内容だけを妄信し、キリスト教福音派から端を発した「陰謀論」に騙されてはいけません。

きちんとカナダ政府や第三者機関の報告書を読み込み、それを信頼しましょう。
宗教的“左巻き”界隈のことを信じてはいけません(これについては別記事で解説)。
それどころか、むしろ多くの国では、
・複数回の意思確認
・医師だけでなく第三者の審査
・待機期間
・いつでも撤回できる仕組み
など、
「本人の意思以外では成立しない」設計が徹底
されています。制度は、思っている以上にガチガチです。
④ 意思が揺らぐからこそ制度設計が必要になる
「人の意思は環境に影響される」
これは事実です。
でも、それは
・手術を受けるか
・治療を続けるか
・仕事を辞めるか
すべての人生の選択に当てはまります。
だからこそ現代社会は、
・説明責任
・インフォームド・コンセント
・繰り返しの確認
という仕組みを作ってきました。
安楽死だけを特別扱いして、
「意思が揺らぐから全部ダメ」とするのは、
あまりにも一貫性を欠きます。
⑤ 「弱者切り捨て社会」という言葉が抱える危うさ
最後に、最も感情的な論点です。
「弱者が切り捨てられる」という言葉は強烈ですが、
それを理由に
苦痛から逃れる選択肢を『全員』から奪ってしまう
ことが、本当に弱者保護なのかは、強い疑問を抱かされます。
※ある、がん患者の悲痛な投稿文

がん患者は最期までがんばらなくちゃならないのか。
その先に確実に死があるのに苦しみに耐えなければならないのか。
苦痛は薬で取れるというけれど、それならなぜ、こんなに闘病中の患者やその家族のひどくつらそうなツイートが溢れているのか。

闘病アカでも本音は言えない。治療して最期まで生ききるのが正義という空気が醸成されている気がする。少し早くなるかもしれないけど自分が納得のいく人生の降り方を選択するのは命を粗末にすることになるのだろうか。たとえそうだとしても私はそれを選ぶ。
それが認められている場所があるのだから
実際には、
・「生きたい人」は生きられる
・「もう耐えられない人」には別の道がある
という状態こそが、多様な尊厳を守る社会とも言えます。
安楽死 反対集団の一角『JCIL(日本生活自立センター)』の会見
皆さまは、彼らの言説をどう感じましたか?
結論:安楽死の強制リスクは議論停止の理由にはならない
安楽死をめぐる同調圧力・強制の不安は、
無視していいものではありません。
しかし、
・圧力の存在 ≠ 制度の否定
・不安があるから禁止、は思考停止
・本当に必要なのは、精密な制度設計と議論
です。
「怖いから考えない」のではなく、怖さを直視したうえで、どう設計するかを考える。
それこそが、この問題に向き合う最低限の姿勢ではないでしょうか。
この『強制リスク反対戦法』は、反対派が一番利用するパターンです。
この問いに対しては当会からも逐一「反証記事」をあげていきます。







