【ペルー安楽死 #1】ペルー安楽死の歴史と現状―アナ・エストラーダが拓いた「尊厳ある最期」への道―
- リップディー(RiP:D)

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【ペルー安楽死の歴史と現状―アナ・エストラーダが拓いた「尊厳ある最期」への道―】

Ⅰ.ペルー初の安楽死という歴史的出来事
2024年4月21日、ペルーにおいて、重度の進行性疾患で長年苦しんできた アナ・エストラーダ(Ana Estrada)氏 が、国内で初めて医学的補助による生命の終結(いわゆる安楽死) を受けて亡くなりました。

当時の報道を日本語訳した動画
“むふむふ”チャンネル様の提供
アナ・エストラーダ氏は「単なる一人の症例」ではなく、ペルーの医療倫理・司法制度・宗教観 に深く変化をもたらした象徴的存在となりました。
彼女の闘いは、南米のカトリック国家における「終末期の自己決定権」をめぐる議論を一変させ、現在の国会審議中の安楽死法案につながる決定的契機となりました。
Ⅱ.司法闘争の始まり(2016 年)
—「尊厳ある終末」を求めた一人の市民の声—
2016年、難病 多発性筋炎(polymyositis) の進行により、呼吸・運動機能の大部分を失った心理学者 アナ・エストラーダ氏 は、自らの尊厳を守る最期を求め、ペルー政府に対し「安楽死へのアクセス権」を認めるよう裁判を起こしました。

当時のペルーでは、安楽死は明確に禁止されており、医師が患者の希望に沿って生命を終結させた場合、刑事責任を問われる状況にありました。彼女の提起した訴訟は、個人の自己決定権と、国家の生命保護義務が鋭く対立する歴史的裁判として注目を集めました。
Ⅲ.2022年:画期的な「個人特例判決」
—制度化ではなく、個人にのみ適用された免責—
5年にわたる審理を経て、2022年2月、最高裁判所は次のように判断しました。
「エストラーダ氏の生命を終結させる行為に関し、医師を処罰しない」
この判決は 制度全体を合法化したわけではなく、彼女一人に限る特例措置 でした。
この枠組みは、かつてのイタリアの個別免責判断にも類似しつつ、ペルーでは極めて異例の判断でした。
しかし、この裁判はペルー国内だけでなく、南米全体に大きな衝撃を与えました。
「強固なカトリック文化を背景とする国で、安楽死が司法により認められた」という事実そのものが、社会的なターニングポイントとなったからです。
Ⅳ. ペルーの宗教的背景と社会の変化
— “カトリックの国”でも人々の意識は変わる—

ペルーでは、国民の 94%がキリスト教徒 であり、歴史的・政治的にもカトリックの影響力は極めて大きいとされています。
しかし、インターネット・AI 技術の普及とともに若い世代の宗教観は急速に世俗化しています。
アナ氏がブログやSNSを通じて「尊厳ある最期を選ぶ自由」の必要性を訴えた際、マスコミも一般国民も大多数が賛成の姿勢を示したことは、従来の宗教観が揺らぎつつある兆候と言えるでしょう。
もちろん、宗教団体および伝統的保守層からは、激しい反発もありました。
しかし、それを上回る形で一般国民が彼女を支持しました。
※以下、反対派の投稿文


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キリスト教カトリックの狂信的信仰の保持者

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現代のキリスト教および宗教は世界的に、不人気、となっているので、彼ら彼女らは、できるだけ“素性”は隠す傾向にあります。このOrigenという団体も宗教の匂いを前面には出しません(これは世界的傾向)。
それは安楽死に反対する人々の大半にも共通しています(例:障害者団体、緩和ケア医)。
そして少数派だけあって“声がバカでかい”のが一つの特徴です。キリスト教生命倫理を隠して、デマや陰謀論アプローチを駆使しながら、何とか安楽死を反対しようと試みています。
これは別の記事で紹介しますが、日本では、下記の類が、それに当たります。
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日本メディアは「宗教報道タブー or 荊タブー」があるので、隠れクリスチャンは社会の表に登場しません。
Ⅴ. 勇気ある弁護士:ジョセフィーナ・ミロ・ケサダ
—市民の声を司法へ押し上げた「もう一人の主人公」—
アナ氏の闘いを支えたのが、弁護士 ジョセフィーナ・ミロ・ケサダ(Josefina Miro Quesada Gayoso)氏 です(右側)。

彼女はテレビでアナ氏の訴えを知り、深い感銘を受け、翌日には上司に相談して弁護を申し出ました。
彼女の献身的な支援と卓越した法的戦略は、最終的に勝訴へと導く原動力となりました。
この訴訟は、女性二人の勇気と協同によって成し遂げられた「市民による人権拡張」の典型例と言えるでしょう。
彼女たちの出会いと戦いの経緯は、下記のサイトに詳しく書かれています。
Ⅵ. 2024年4月:安らかな最期
—個人の尊厳が法と社会を動かした瞬間—
アナ・エストラーダ氏は、2024年4月21日、
家族とジョセフィーナ氏に見守られながら、穏やかに旅立ちました。
SNS(X)では国民の 85%前後が彼女の勇気を称える投稿 を行い、「Vuela alto, Anita(高く飛べ、アナ)」という追悼の言葉が広く用いられました。
少数のキリスト教保守層からは強い批判も寄せられたものの、社会全体の流れは明らかに支持の方向でした。



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アナ氏が安楽死された翌日の弁護士のインタビュー
Ⅶ. 歴史的影響:死後1か月で法案が提出
—制度化への新たなステージへ—
アナ氏の逝去から わずか1か月後、国会に 正式な安楽死法案 が提出されました。

これは特例判決を超え、制度としての安楽死を構築しようとする動きであり、南米地域の終末期医療の歴史においても極めて重要な転換点と見られています。
Ⅷ. 南米における位置づけ
—宗教支配から個人の権利へ—
南米諸国は依然としてカトリックの影響が強いですが、チリ・コロンビア・アルゼンチンなどでは、生殖医療やLGBTQ権など、人権分野で急速にリベラル化(≠日本のリベラル)が進んでいます。
ペルーもこの潮流に合流しつつあり、アナ・エストラーダ氏の訴訟とその社会的連鎖は、南米における「終末期の権利革命」の象徴と言えるでしょう。

Ⅸ.一人の市民が作り出した“歴史の扉”
アナ・エストラーダ氏と弁護士ジョセフィーナ氏の闘いは、
ペルー社会を保守的宗教観から解き放ち、終末期医療の未来を大きく動かしました。

彼女の死は終わりではなく、
ペルー国内における安楽死法制化の「出発点」として記憶されるでしょう。
「Vuela alto, Anita❤️🕊️」





